聴覚過敏と分かって幼少期を振り返ると
今思うと息子には本当に申し訳ないことをしたと反省しています。
息子は乗り物に乗れない子でした。聴覚過敏も乗れない一つの原因だと気づいてなかった頃の話です。
新幹線での大泣き事件
1歳未満のベビーの頃、新幹線で帰省しました。そこで親子共々、地獄を体験しました。
ベビーなので座席で泣いたらあやすしか無かったのですが、泣き声が少し大きくなったのでデッキに出たのが地獄の始まりでした。
ちょこっとあやして席へ戻ろうとしましたが、デッキへ出た瞬間から火がついたようにギャンギャン泣き…。反り返ってギャンギャン泣き…。
母も座席に居たのですが、私はすぐに戻ると思っていたのでスマホを持たずデッキに出ており、おやつか何か持ってきて欲しいということも伝えられませんでした。幸い、デッキには私と息子だけ。
どんどん泣き声が大きくなり、新幹線の走行音と息子の泣き声が共鳴して、私は頭がおかしくなりそうでした。
大泣き状態で新幹線で1時間半経過
1時間半経過しても、一切泣き止む様子が見られません。
いよいよ私がイライラしてきました。多目的ルームが空いていたら入れさせてもらいたい!
座席には絶対戻れない!そう思っても、スマホが無いので母へ連絡が取れません。母は寝ていたので私が戻らない事にも気づいていません。
大泣き状態で新幹線で2時間経過
2時間ほど経過して母が『まだ?』とデッキに来ました。
ギャン泣きの息子を見て『まだ泣いてたの?具合悪いの?』と。
鬼の形相で私が
『車掌さんに多目的室が空いてたら使わせて欲しいって伝えてくれない?』
とお願いして、使わせてもらえることになりました。
多目的室へ移動すると
でも多目的室がある車両は3つ先。このギャン泣きを連れて車両を通過する事に抵抗感がありましたが、息子も私もこれ以上は無理!と意をけっして車両を小走りで通過。
多目的室に入ると、息子はピタッと泣き止みました。今思うと静かなんです。抱っこ紐の中で汗だくになった息子を着替えさせると、疲れきってすぐに寝ました。
聴覚過敏があるとわかってから振り返ると
息子は2時間もの間、うるさい音が嫌で嫌でパニックを起こしていたんだと思います。どんなに泣き叫んでも改善されず、どう感じていたのでしょう。
『泣くには理由がある』。
なぜ泣いていたのか気がついたのは、それから数年先のことでした。
同じような経験がある場合は1歳6か月健診をまたずに、迷わず療育機関へ行きましょう。
また療育機関で受けた幼児期アドバイスや息子の聴覚過敏の変遷を以下でまとめました。
最後に
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