移動は自家用車だけ
ベビーの頃から息子は公共交通機関での移動は拒否していました。乗れるのは自家用車のみで、自転車も拒否でした。
聴覚過敏があるので電車やバスのドアが閉まるときの「ぷしゅー」という空気音やエンジン音が苦手だったのかな?と今では思っていますが、自分で耳を塞ぐという動作ができなかったので、私達も聴覚過敏があると知ったのは3歳くらいだったと思います。
公共交通機関に慣れさせよう
公共交通機関に乗れないと今後色々と不便な事が起こりそうだったので、乗り物になれてほしいなと思い、動物園などにある電動カーに一緒に乗ったりしていました。
でも、大きな乗り物へつながる次のステップがなかなかありませんでした。
遊園地の小さい子向けの乗り物も音が大きかったり、園内を走る鉄道なども本格的で、息子は頑なに近づかなかったのを記憶しています。
踏切と電車が大好き
でも、息子は小さい頃から踏切が大好きで電車も好きでした。お散歩中にどれだけ眺めに行ったか。こんなに好きなのに乗れない…可哀想にと思っていました。
きっかけは突然に
幼稚園の年長の時、実家の母親が久しぶりに遊びに来ました。どちらかというと、母は息子に対し定型発達の子のように接します。
なので遊園地に遊びに行った際、乗り物に乗らないと発言した息子に『○○くん!一緒にやるよ!おいで!』と声を掛けました。
息子は言われるがまま乗ったのです(笑)どうなるの?と私は少し不安になりましたが、動き出した乗り物にビビっていたものの、徐々に慣れて遊び出しました。
母は『乗れるじゃん!これ乗れるなら電車も乗れるんじゃない?』と最寄りの路面電車の駅に向かいました。
なんと!!
なんと、すんなり乗ったのです(笑)親ではない人に背中を押され…親のように断れず乗った。それから乗り鉄です!今まで眺めていた電車に乗れた嬉しさで大興奮!!!あれは幼稚園の年長の夏でした。
無理矢理はトラウマになりかねず良くないと思いますが、あれよあれよといううちに出来ることもあるのだと知りました。
その役目は親じゃないのかもと思った瞬間でもありました。
療育機関で受けた幼児期アドバイスや息子の聴覚過敏の変遷を以下でまとめました。
最後に
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